もしぼっちが100人のリア充の中に入ったら ~第6話「「ひと対ひと」から「なかま」へ」~

20世紀前半に活躍した哲学者であるヤスパースは、死や苦悩・罪の意識など、自分の意志ではどうしても変えることができない状況を「限界状況」と名付けた。

壁にぶち当たった時に、それに目を閉ざしてごまかすのか、それともそれを乗り越えようとするのか。
どちらを選ぶかが、その後の自分を決める。

そして、壁に向き合おうと努力する中で、かけがえのない他者と心の奥底から交わることによって、ひとは真の自己にたどり着く。

 

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先々週土曜日の練習中、僕は突然調子が悪くなった。

 

周りには100人いるはずなのに、なぜか100人の誰からも切り離されていて、繋がっていないような感覚に襲われた。

不安、焦り、空虚感が、急に心に纏わりついて離れなくなった。

まるで柱が折れてしまったかのように、心がバランスを崩してしまったのだ

 

まともに立っていることすらしんどくなった*1僕は、練習を抜けて1人になった。

 

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「やってしまった」真っ先にそう感じた。

 

ただでさえダンスとか全然踊れないのに、さらに追い打ちをかけることをしてしまった。

だけど、練習には戻れそうもない。なんでこうなったのか、自分でも訳がわからなかった。

   

しばらくして、僕がいなくなったことに気付き、スタッフが僕のところに来てくれた。

最初はパニックになっていたけど、そのうち、ずっと言いたくても言えなくて飲み込んでいたことが出てきた。

 

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「大丈夫?」

「大丈夫じゃない」

「どうしたん?」

「なんでかわからんけど、なんかいきなり不安になって」

「それは配役発表*2と関係あるん?」

「たぶんない。なんか急にしんどくなって」

……

「なんか、みんなと繋がれてないような気がして」

「そうなん」

「本当はもっと情緒的な部分で繋がりたいのに、あまり自分の感情を出せんくて」

「それはなんでなん?」

「実はおれ、結構人間不信*3なところがあって、心を開けないんよね」

……

「みんないい舞台作ろうと頑張ってるのに、自分は全然ついてこれなくて、楽しめてない。ダンス覚えるのめっちゃ苦手なんよ。あと、動き*4を考えることもできなくて、正直誰かのアイデアに乗っかる方がいいんだけど、言えない」

……

「生きてたら、そういうこと*5が歓迎されないことだってあるよ。だけど、ここの人たち*6は、もっとまるちゃんのこと知りたいと思ってるだろうし、正直に話してもきっと受け入れてくれると思うよ」

「本当にそうかな」

「きっとそうだと思うよ。もし何か困ったことがあったら、わたしにも相談してほしいし、他のスタッフにも相談すればいいと思うよ。そのためのスタッフなんだから」

「………うん、相談する」

……

「練習戻る?」

「うーん、このタイミングで戻りたくないな」

「じゃあ、わたしはそろそろ戻るから、好きなタイミングで戻ってきてね」

 

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話していて自分で驚いたのは、仲間との情緒的な繋がりを自分が求めていたことに気付いたことだった。

 

僕は、人と繋がるうえで情緒とか愛とかはいらないと思っていた。いや、そう思うようにしていた。健全な関係を築くうえで、邪魔になるとさえ思っていた。

だけど、どこか無理しているところがあった。

自分の「本当はこうしたい!」に見てみぬふりをし続けた結果、少しずつストレスが積もり、ついに爆発してしまったのだと気がついた。

 

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一緒にいてくれたスタッフは、僕が話している間、ずっとただ聞いてくれた。

正直な気持ちを話せたことで安心感を取り戻せた僕は、練習に戻ることができた。

 

だけどこうなってしまったからには、自分の気持ちを隠し通す訳にはいかなかった。

そして僕は、今の自分の気持ちを率直に綴って、同じグループのメンバーに伝えることにした。

  

自分の弱さを露わにすることに対する怖さはもはやなかった。

「こんなこと言って嫌な思いさせたらどうしよう」なんて考えるまでもなく、ただ衝動のままに、ボールペンを持つ手を進めた。そして、A4の紙いっぱいに、僕の今の気持ちが映し出された。

その気持ちを写真に収め、LINEグループに貼りつけた。

 

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「実は自分もけっこうしんどかったんよね」「自分の弱さをちゃんと出せたのはすごいと思う」「まるちゃんのこと知ることができてよかった」「気付いてあげられなくてごめん」「一緒にがんばろうね」…

みんなから、思っていた以上に暖かみのある言葉を貰った。涙が出そうになった。

 

一人ひとりが自分の思いを通じ合わせられたことで、よりいっそうかけがえのない仲間になれたのかもしれない。そのきっかけになれたことを、本当に嬉しく思う。

 

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僕の知人のひとりである小峰さんは、以下のように、社会を良くしていくためには「人権」ではなく「倫理 (なかまのことわり) 」の構築に励むべきだと述べている。

人権派リベラルは、反動である。――「倫理」(なかまのことわり)の構築を怠るな。 - 小峰ひずみの批評部屋

 

日本では、集団内での「空気を読む」ことが最優先され、なかなか自分の考えや感じたことを主張しにくいことが往々にしてある。誰かが生きづらさや違和感を抱えていても、それをみんなの前で表明することが憚られてしまう。

だからこそ、会社や町内会など、集団の中における規範を作り上げることこそが、生きやすい社会を作っていくためには近道なのだという風に、僕は解釈している。

だけど、いきなり集団を変えていくことは難しい。前述した通り、「空気」の問題が付き纏うからだ。集団内で権力を持っている人ならばそんな空気を変えていけるのだろうが、権力を持っている人は現状維持を求めやすい。

 

そこで僕が思うのは、1対1で一人でも多くの人と良好な関係性を築き、それを集団全体へと広げていくことが有効なのではないか、ということだ。

言い換えれば、「ひと対ひと」の関係から、「なかま」を構築していくということである。

 

集団内では難しくても、1対1ならもしかしたら相互に理解しあえる人がいるかもしれない。それに、表立って口には出さなくても、似たような生きづらさや違和感を抱えている人も案外いるものだ。だから、しんどい時は思い切って表明してみてもいいのではないか。

全員に自分の思いが伝わるとは限らないが、もし1人でも思いを受け止めてもらえる人が近くにいたのなら、まずはその人との関係から始めていけばいいのだ、きっと。

 

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人と生きるのには、ギブ・アンド・テイクが必要である。どちらか一方だけしかないと、人間関係は上手くいかない。

だけど、人を真に結びつけるのは、強さではなく弱さなのだと思う。

 

強さを軸に結びついた人間関係は、一見強そうに見えるが、「弱さを見せられない」という縛りを受けてしまうがゆえに、実はけっこう危ういように思う。

むしろ、弱さを軸に結びついた人間関係の方が、もう弱さを知られてしまっているがためにこれ以上悪くなりようがないという点で、安心していられるように思うのだ。

 

人間には強いところも弱いところもある。強いところだけしか見ないのは、その人の面白さを半分しか知っていないようなものだ。弱いところを味わえるからこそ、人の面白さがわかるとは言えないだろうか?

 

 

*1:体調は全くもって問題がなかっただけに、自分でも訳がわからなかった。

*2:僕が練習を抜けたのは、後半シーンの配役発表の直後だった。

*3:キラキラした雰囲気のある人たちに対する苦手意識や劣等感、過去に「普通の」人から蔑まれた経験、自分のことを避けられた経験などから、あまり人に対して心を開けなくなっていた。

*4:このミュージカルは、自分たちで舞台を作っていく箇所が多いので、主体的な参加が望まれる所がある。

*5:弱音を吐いたり、自分の気持ちを正直に話すこと。

*6:言うまでもないが、このミュージカルに参加している人たちのことである。