「自分の弱さを認めてあげる」ことについて等

お知らせ

 

・大学院を修了して仕事を探していましたが、紆余曲折あって高校教員を目指すことにしました。

 

・また、実家に帰ることにしたため、ふくわらいは5月末をもって解散します。短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。教員採用試験が終わったら活動の総括をします。

 

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先日、とある友人が、自分との関わりでしんどい思いをしたことを話してくれた。

詳細は伏せるが、僕の配慮が不足していたために傷ついたということだった。

 

この件自体は、自分の至らなかった点をしっかり反省して、同じ過ちを二度と繰り返さないようにすればよいのかもしれない。

しかし僕はシェアハウスをやっている間に、実は似たような過ちを何度かしでかしており、それが原因で小さな、でも決して軽くはないトラブルを引き起こした。結果として様々な人間関係にヒビを入れ、シェアハウスをダメにしてしまった。

そのことを思い出した僕は、唐突にいくつかツイートをした。

 

 

シェアハウスを続けていくために不可欠なものは何か。今の僕だったら、はっきりと「金」と「信用」だと答える。

 

家を借りると、毎月家賃を支払う必要が出てくる。家賃を支払えなければ住み続けることはできない。金のことで大切なのは、部屋に空きが出たとしても数ヶ月は耐えられるようなレベルの家賃設定をすることである。部屋に空きが出ないことを前提とした家賃設定だと、空きが出た時にすぐ行き詰まってしまう。定職に就いておらず自分の財布に余裕がないのならなおさらだ。

信用とは、「このシェアハウスなら自分の身を任せても大丈夫だ」と思ってもらえることである。そのためには、どのような支払いがいくら発生するのか、ハウスルールはどのようになっているのかを、予め可視化しておく必要がある。条件に合わない人には、受け入れを断ることだってあり得るだろう。そういった方針がしっかりしていないと、なかなか「このシェアハウスに住みたい」とは思えない。家というのは、自分の生命を一時的にでも丸ごと預ける場所だからだ。

 

金と信用がしっかりしていれば、生存率は格段に上がるだろう。しかし僕はこの2つをおろそかにした。その結果、関わる人を傷つけてしまったし、解散の原因にもなった。

それはなぜか。もちろん僕の社会経験不足もあるが、それ以上に僕のとある「信念」が、しっかりすることを邪魔していたように思う。一言で言えば「弱さを力に」とかいうものである。

 

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そもそも僕がシェアハウスを始めたのは、就職と恋愛の失敗経験によって、自分は「進学→就職→結婚→子育て」という人生の正解ルートに乗れない人間だという自己認識を持つようになったからだった。「正解」に乗れないからこそ、そのような人たちを結びつける場所を作る必要があるし、これは間違いなく社会的意義があると思っていた。疲れ果ててしまった今でも、シェアハウスの意義自体が失われた訳ではないと思っている。

僕はシェアハウスを運営する上で、「弱くても、人同士の結びつきを作ることによってより良く生きていくことができる」と信じていたし、そうなるべきだと思っていた。しかし、現実はその通りにはいかなかった。

 

叩かれることを承知で言えば、弱者の世界というのは、不信をベースに成り立っている世界である。不信ベースの世界観では、基本的には周囲の人はみな敵であり、人とつながるのは「コイツは信じるに値する人間だ」と判断した時のみである。一方、信頼ベースの世界観では、基本的に世界は自分の味方であり、無条件に人を信じることができる*1。不信ベースに生きてきた人間が、信頼ベースに生きられるようになるのは容易でない。

信頼ベースでなければ、人同士が真に結びつくことはできない。人と出会うたびにいちいち値踏みしなければいけないというのは、値踏みする側にとってもされる側にとってもストレスだからだ。条件付きでないと信じてくれない人と、無条件で信じてくれる人、どちらが長く付き合いたいと思うだろうか?

 

そういう訳で、僕の「弱くても、人同士の結びつきを作ることによってより良く生きていくことができる」いう目論見は見事に外れてしまった。しかし僕は、その現実を認めることができず、かたくなに「しっかりしないことの価値」を信じ続け、軌道修正ができなかった。少なくとも秋辺りで軌道修正していれば、もうちょっと違った結果になったかもしれない。それができなかったのは、信念の誤りを認めることができなかった弱さが原因だったと言う他ない。

 

「弱さを力に」変えるためには、大前提として弱いままでいられるための強いバックボーンが必要である。それも思想的なものと物質的なもの、両方である。

僕はその点、誰かを受容して居場所になろうという気概はなかったし (むしろ受容できないことを「弱いんだから仕方ない」と開き直っていたところがあった) 、場所を維持するだけの経済的な基盤もなかった。結局僕は、自分の弱さに足元を掬われる形で、シェアハウスを畳むことになったのである。

 

シェアハウスを畳む段階になって、僕は自分の弱さを初めて心の底から恨んだ。誰かに勝てなかったから恨んだのではない。守りたいものを守れなかったから恨んだ。この悔しさは、きっと一生僕の中に焼き付いて消えないだろう。

 

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僕は男性学に触れてから、自分が何に苦しめられてきたのかを知って、自分が傷ついたことを「傷ついた」と認めるプロセスを通して、ずっと「自分の弱さを認めてあげる」ことをし続けてきた。それは、ずっと僕が背負い続けてきた感情的な重荷を降ろし、自分をラクにすることに繋がった。

しかし、自分をラクにしようとし過ぎた結果、ラクになるためには何をしてもいい、無神経になったも構わないという行き過ぎた考えを持ってしまったように思う。そんな自己中心的な考え方で、どうしてしんどい人に寄り添うことができるだろうか?

「自分の弱さを認めよう」とした結果、もっと根本的なところにある自分の弱さを見過ごしてしまった。これでは本末転倒である。

 

しかし一方で、弱さを認めてあげることをしなければ、今回のように自分のあり方について反省することもできなかったように思う。自分を大切にするという姿勢が身についたからこそ、自分にとって前向きな苦言を素直に受け入れられるようになった。以前の僕だったら、自分を守るために何か言われたらすぐ感情的に反発していただろう。

 

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最近、僕は自分について、「学ぶことに特化した人間」だと思うようになってきている。

どういうことかと言うと、普通の人が生きてさえいれば当たり前に学べることが僕は特性上学べないので、事後的にでも意識して学んでいくことが生きていくための道である、そして一旦学習できれば、それを活かして自分にしかできない何かができるかもしれない、ということである。

 

「事後的にしか学べない」というのは、何をするにつけても周りの人よりも一歩、あるいはそれ以上遅れを取ってしまうことを意味する。自分が「遅い」人間であることを認めるのはつらい。だけど、自分の先を行く人たちが目もくれなかった花を見つけることはできる。それが僕のような人間の、幸せに生きる道なのだと思う。

 

「普通のふりして生きる」のがしんどかったから「自分にしかできないこと」を探してみたけれど、僕にとってそれは「正解」のルートから外れた生き方をすることではないと、シェアハウスをやった今となっては思う。

むしろ、通常のルートに乗っかろうとしつつも、そこで起こる様々な困難に対して向き合い、どのように乗り越えていけばよいのかを日々模索し続けていかねばならない。そしてその時に、シェアハウス活動をしたことや人文学を学んできたことが力になるのかもしれない。

 

 

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「自分が教員を志望した理由は何か?」について改めて考えてみる。

 

これまでの経験をひっくるめて僕が思うのは、人が生きていくうえで一番大切なことは「自分のことを、自分であるという理由で認められること」だということである。無条件の自己肯定、あるいは自己受容と言い換えることもできるだろう。僕は教員として、そういう人を育てたい。

 

では、どうしたらそのような人を育てることができるのだろうか?これについて考えようとおもったけど、如何せんもう気力が尽きてきた。またの機会に書こうと思う。

*1:もちろん、付き合ってみて「コイツと関わるべきではない」と判断したら、つながりを切ることもあるだろう。しかしこちらの方が人間関係としては健全ではないだろうか。不信ベースで生きている人は、一度「コイツは信じられる」と判断してしまうと、その人が自分に害を与える存在だとわかっても関係を切れないという悲劇が起こってしまうように思う