絶望と、湧いてきた夢

※5/10追記:成績証明書、今日届きました。採用試験に向けて頑張ります。

 

教員採用試験の季節は、どうやら僕にはやってこないようだ。

 

今年こそリベンジするつもりで出願の準備を整えたのだが、母校に請求した成績証明書がまだ届いていない。GW前に請求書を送れば十分だと思っていたのだが、GWの長さを甘く見ていた。

〆切はもう次の火曜日に迫っている。このまま成績証明書が届かなければ、採用試験を受けることができず、1年を棒に振ってしまうことになる。

 

「1年を棒に振る」。この言葉が頭に焼き付いて離れなくなり、胸がギリギリと締め付けられた。

 

自分の教職への思いは、採用試験の出願準備を面倒臭くて先延ばしにする程度のものでしかなかったのかもしれない。

付け焼き刃で日々を乗り越える中で、いつの間にか笑顔が消えていた。「頑張らなければ」というプレッシャーが大きすぎて、心の余裕ややさしさを失っていた。笑えない自分、やさしくなれない自分への自己嫌悪をどうすることもできない。自分のなりたかった教師像とは真逆の教師に、いつの間にかなってしまった。

なんで僕は高校の先生になりたかったんだっけ、と考え直さざるを得なくなった。

 

考え直してみると、僕を教職へと突き動かしていたものは、出身高校に対する愛着だったことに気がついた。

いい思い出ばかりではなく、むしろ嫌な思いもいっぱいしてきたけれど、それでも僕は、自由で選択肢がいっぱいあって、生徒のやりたいを形にできる環境がある、あの母校が好きだった。教育実習を通して、さらにその思いは強くなった。

高校の先生になりたいという思いの背景には、母校の教壇に立ち、生徒たちが最高の高校生活を送るためのコーディネーターになりたかった、ということが今はよくわかる。

 

もちろん、この動機だけで公立高校の教師が務まるとは全く思っていない。けど、自分の思い自体はなかったことにはできない。

今まで、「どんな環境に置かれた人でもアクセスできる公教育に携わって、いい教育をめざしていくべきだ」という理屈で公教育に関わっていたけど、本心は別のところにあった。そのことに気づけたのは、大きな収穫だった。

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高校教育に関わりたいと思ったときに、こんなことも思い出した。

 

友人の何人かが、学生時代からとある島に関わり続け、現在はその島に移住している。僕も2度行ったことがあるが、本当にいいところだし、色んなことに挑戦している人がいて面白そうだとも思った。

そんな時に、島の高校で「高校魅力化プロジェクト」のコーディネーターの募集案内を見つけた。自分がやってきたことも活かせるし、地域を盛り上げていくことができる。こんなにいい仕事はないと思って、応募してみた。だけど、当時は自分に自信がなく、全く知らない土地へ行くことの不安も強かった。

書類審査に合格し面接の案内をもらったけど、結局面接は受けなかった。こんな自分が行って大丈夫なのだろうかという思いがあり、気が進まなかったのである。それは仕方のないことであった。

 

いつしか諦めていた、教育から地域を盛り上げていくという夢を思い出し、久々に気持ちが熱くなった。

あのときは自信がなくて飛び込めなかったけど、ある程度(といっても半年くらいだけど)先生としての経験を積み、どのようにして社会に貢献したいのかを地に足着けて考える足がかりができたことで、ようやく自信を持てそうな気がしてきた。

だからこそ僕は、自分の中に深く自信の根っこを張るためにも、まずは今の仕事、中学校の講師という仕事を全うしようと思う。