もしぼっちが100人のリア充の中に入ったら ~第4話「初めてのノリ体験」~

15日の練習が終わった後、僕はとてつもなく気が沈んでいた。

 

端的に言って、全く練習を楽しめていなかった。

楽しめていない原因としては、覚えが悪くてダンスが全然踊れるようにならないとか、周りとの温度差を感じて全然練習にのめり込むことができないとかがあったんだけど、それだけだとは思えなかった。

何というか、自分が自分でいられていない感じがした。

 

バックグラウンドを共有できない中で自分が自分でいられるためには、どうしたらよいのだろうか?

これが、自分にとっての大きな課題となった。

 

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先週の土日の練習までに、各グループの衣装・文化について調べてくるという宿題が出された。

僕のいるグループはアメリカ大陸がモチーフなので、「アメリカらしい」衣装・文化について調べてくることになるのだが、僕は社会科の先生をしているので、アメリカの歴史をまとめたものを発表することにした。

アメリカは「自由の国」というけれど、じゃあその「自由」の精神はいかにして育まれていったのか?」
この問いを軸に改めて歴史を見てみると、いろいろ面白い発見があった。こういう時に、僕の社会科好きは役に立つ。

 

土曜の練習のはじめに、各自の成果を発表する時間があったのだが、そこでの発表はとても楽しかった。やっぱり僕は、自分の好きなことについて話している時が一番自分でいられると感じた。

 

そして、発表を境として、僕の心境はガラっと変わった。

 

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何回練習に参加しても全然のめり込むことができなかったのに、それが嘘のように、ミュージカルの世界に没入できた。

積極的に、わからないことを聞くことができるようになったし、他の人から学ぼうと思えるようにもなった。

「…しなくちゃ」から、「…したい」へと、考え方が変わった。

 

一言で言うと、僕はこのミュージカルに参加して以来、初めて「ノる」ことができたのである。

 

日曜日にグループ毎の発表があったのだが、発表が終わった後、何人かのメンバーから「すごく楽しそうだった」「よかったよ」と言ってもらえた。実際、発表中は楽しかったし、むしろ「もっと楽しそうな僕に注目して!」と思っていたくらいだった。

 

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では、なぜ僕はここにきて急に「ノる」ことができるようになったのだろうか?

 

僕はもともと、ノリで動く場が苦手だ。自分のズレたノリによって場を白けさせてしまうということが数多くあり、傷つきたくなくていつしかノリで動く場に入っていくことを避けるようになった。加えて、大学で人文科学や社会科学を学んだことで、そういった場を俯瞰的に見ようとする癖がついていたことも、尚更僕をノリから遠ざけていた。

しかし、世間は圧倒的に理性ではなくノリで動く。大学でいくら「立派な」考え方を身に着けようと、世間の前ではいとも簡単に吹っ飛んでしまう。それはどうにもならないことだ。

とはいえ、一度世間がいかに理不尽なものであるのかを学んでしまった僕は、もはや以前のように「ノる」ことはできなくなってしまった。だからこそ、そのような自分を受け入れたうえで、新たなノリを身につける必要があったのだと思う (千葉雅也『勉強の哲学』みたいな話になってきた) 。

そして僕にとっての新たなノリとは、「自分の好きなことについて語ること」だった。自分の好きなことを語ったことが、自分を他者に開く手助けとなったのである。

 

場に同調することだけがノリじゃない。自分で自分を楽しませるためにすることが、結果としてノリに繋がることがある。この発見ができたのは本当に収穫だった。

 

ワイワイするのは苦手だけど、好きなことを語るのは得意な人たちを集めて「自分の好きなことについて語る会」を開催したくなった。5人くらい集まったらやりたいな。

 

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次は名古屋で、名古屋公演のメンバーとの合同練習だ。

合わせて200人。どんな世界が待っているのだろう。