マンションとシェアハウス~シェアハウスに住む優位性とは~

僕の運営しているシェアハウスふくわらいでは、4月からの新しい住民を現在募集しています。

 

 

これまで僕は、たびたびシェアハウスでの生活を主にTwitterを通じて発信したり、新しく知り合った人に話したりしてきました。

しかし、シェアハウスという居住形態は普通の人にとって馴染みが薄いことや、ふくわらいが「賑やかさ」や「オシャレさ」というような一般的なシェアハウスのイメージからは程遠いこともあって、反応はいまひとつだったように思います*1

 

そこで今回は、一人暮らし用マンション (以下「マンション」と呼びます) とシェアハウスという2つの居住形態を経験した僕の経験から、マンションと比べてシェアハウスにはどのようなメリットがあるのかを明らかにして、シェアハウスに住むことに対するイメージを少しでも膨らませることに貢献できたらと思います。

 

マンションとシェアハウスは何が違うか・その①~「個人化」させるマンションと、「人間化」させるシェアハウス

 

マンションとシェアハウスの違いの1つ目は、マンションは人を「個人化」させ、シェアハウスは人を「人間化」させるのではないかということです。

 

当たり前の話ではありますが、マンションは一人で住むことを前提にして建てられています。もっと言えば、「自分の生活空間の中に他者がいることが想定されていない」ということです。

もちろんマンションでも、パーティーやら集まりやらを開催することによって、生活空間内に他者を入れることはできます。しかしそれはあくまでも「非日常」であって、デフォルトの状態ではありません。マンションは、基本的には「一人」になるためのものなのです。

また、マンションには身近な他者、いわゆる「ご近所さん」が存在しません。マンションには町内会に入っていない所が多く、当然回覧板もありません。大家さんの意向とかマンションの伝統によって住人同士の交流が活発なところもありますが、それは少数派だと思います。

 

このような空間は、必然的に人を「個人」にさせます。日常に他者がいないので、マンション居住者の生活は、多かれ少なかれ自分のためだけのものになります。部屋を散らかしたりダラダラしたりするだけでなく、自分の好きなもので部屋を埋め尽くしたり飾ったりするということが自由にできます*2

この自由は、何ものにも替えがたい魅力的なものです。現に、シェアハウスをしている僕も、ふとした瞬間に「一人暮らしに戻りたい」と思う時が正直あります。しかし、あまりに一人の時間が長すぎると、人はどんどん自分の世界に閉じこもり、世界には自分の常識が通用しない他者がいるということを忘れがちになってしまうのではないでしょうか。

人はもちろん個人として尊重されるべきですが、充実した人生を送るには「社会的動物」になる必要もあります。一人で過ごすことによって「他者には他者の世界がある」ということを肌感覚で掴む機会を失うのは、長い目で見るとかなりもったいないのではないかと思います。

 

一方、シェアハウスは元々が一軒家なので、「自分の生活空間」というのは本来存在しません。「人」と「人」の「間」で生きる者のための空間、つまり「人間のための空間」なのです。

この「人間のための空間」では、マンションのように好き勝手なことは許されません。それぞれの構成員は「人間」として、人間集団を作るために生きる必要があります。

このことはしばしば、人に束縛を感じさせます。年末年始になるとネット上では「帰省が辛い」という嘆きや叫びが溢れかえりますが、家庭が必ずしも居場所にはならないということがよくわかります。そんな家庭から逃れて自由になりたいと思うのは、自我を持った人として当然のことではないでしょうか。

 

一方で、この束縛のある空間には、社会的動物として生きるために重要な要素もまた沢山詰まっています。

人と一緒に暮らすということは、必ずしも楽しいことばかりではありません。どんなに仲のよい人でも、一緒に暮らしているとどうしても許せないことや違和感が出てくるものです。ですが、そういった負の感情を自分の中に閉じ込めたままにせず、伝えるべきことはしっかり伝え合い、お互いに改善できることは改善できるように努力する。(実際僕も、住人との関わりの中で変わったところは沢山あります) 地味ですが、こういったプロセスを経験することは、人生の中で大きな経験になるはずです。あらゆる悩みが対人関係によってもたらされるのと同様に、あらゆる喜びもまた対人関係によってもたらされるのです

しかもシェアハウスは、部屋の使い方によっては住人に個室を与えることもできます。個室では、マンションのように完全に自由とはいかないまでも、ある程度「個人」でいることができます。そのうえ、家族と違って一緒に住む人を選ぶこともできます。嫌いではない人と住みながら、人間になるための生活ができる訳です。

 

「個人」と「人間」のバランスが取れるのが、シェアハウスの良さと言えるでしょう。

 

マンションとシェアハウスは何が違うか・その②~「ムダ」のないマンションと、「ムダ」だらけのシェアハウス

 

マンションとシェアハウスの2つ目の違いは、「ムダ」があるかどうかだと思います。

 

実家が一軒家だった方は想像がつくかもしれませんが、一軒家にはムダが多いです。大きなスペースは持て余すし、いつ使うかもわからないモノを「もしもの時に備えて」ついつい買い込んでしまう、そしてそういったモノは持て余したスペースにどんどん置かれ、終いにはどこに何が置いてあるのかわからなくなる…。シェアハウスにも、多かれ少なかれそういう性質はあるのではないでしょうか。

また、町内会もムダと言えばムダです。やることと言えば年に数回の行事くらい、会議は上意下達で話し合いも何もあったもんじゃない。それでいて町会費はしっかり取られる。ムダを嫌う人にとっては、この上なく不合理なシステムです (ご近所付き合いに関しては、また記事を改めて書いてみたいと思います) 。

それに、そもそも他の人と一緒に住むということが、見ようによってはムダです。他の人と一緒に住むのは、ストレスの素になります。

 

そういったムダが極力省かれているのがマンションです。マンションには余計なモノを置いておくスペースはありませんし、町内会もありません。素晴らしきムダのない世界です。

ですが、ムダのない生活はそれはそれで何か物足りないものです。おそらく、ムダを排除し尽くした先に待っているのは、「生活の中にムダなものを極力入れてはいけない」という、強迫観念じみた思考なのではないかと僕は思うのです。ムダが敬遠されるこのご時世なら尚更でしょう。

それに、人はどこかでムダなものを欲するところもあるのではないかと思います。いくらムダが嫌だとはいっても、生活に遊びがないとしんどい人の方が多いでしょう。だからこそ人はスピリチュアルなものにハマるし、マインドフルネスをするし、芸術鑑賞やスポーツ観戦に行くのです。

 

シェアハウスには、「ムダ」が標準装備されています。つまり、自分から求めに行かなくてもムダなものが手に入るという訳です。しかも、ただのムダではありません。

シェアハウスの広いスペースは、マンションなら導入するのを躊躇ってしまうモノを買うのにはもってこいです。シェアハウスの広々キッチンは、自炊を楽しいものにしてくれるでしょう。ご近所付き合いも、孤独の解消に一役買ってくれるはずですし、顔見知りになっておくといざという時に助かります。遠くの親類より近くの他人なのです。

シェアハウスに住むことで、ムダなものにこそ生を豊かにする可能性が詰まっていることを実感できるでしょう

 

ムダのない生活とムダだらけの生活、あなたはどっち?

 

おわりに

 

という訳で、マンションとシェアハウスの違いを自分なりに述べてみました。

まとめると、シェアハウスに住むメリットは①「社会的動物」として生きていくために大事な経験を味わえる、②ムダなことにこそ生を豊かにするための可能性が詰まっていることを感じられる、という2点です。

 

シェアハウスは可能性の宝庫です。

あなたも一軒家のシェアハウスに住んで、シェアハウスの魅力を味わってみませんか?

*1:シェアハウスに対する世間のイメージが偏っているという指摘は、京都でサクラ荘というシェアハウスを運営するホリィ・センさんによってもなされています。詳しくは「シェアハウス」に対するイメージの偏りについて - 落ち着けMONOLOG を参照

*2:騒音などで隣の部屋に迷惑をかけるという可能性はありますが