いくつかお知らせ (2020/3/16)
一周年記念パーティーのお知らせ
ふくわらい誕生からちょうど一年という節目となる3/21(土)に、一周年記念パーティーを開催します。
時間は18:00~、みんなが帰るまでです。参加費は1000円+カンパ。食べ物やお酒の持ち込みも大歓迎です。
この一年間、色々なことがありました。
正直疲れてしまったのは事実ですが、それでも一周年を迎えられるのは感慨深いものがあります。ひとりでも多くの方と、その喜びを共有できればと思います。
ふくわらいに来たことのある方もない方も、ぜひお越しください!
住人募集中
ふくわらいでは、現在も4月からの住人を募集しています。
場所は大阪市の端の方で、阪神なんば線出来島駅から徒歩13分程度のところです。都会からは少し外れますが、なんばへは電車で一本、十三・梅田へはバスで一本で出られます。静かな住宅街の中にあります。
家賃は光熱費込みで35000~50000円です。家賃は住人の数によって変動するため、詳しくはお問い合わせください。
興味のある方はお気軽にTwitter (https://twitter.com/fukuwarai_0321) にご連絡ください。お待ちしております。
※3/17追記:一人暮らし経験があること、家賃が毎月払えること、半年以上住む意思があることが条件です。
ふくわらいミーティングは、「自分おたすけ研究会(たす研)」として出発します
14日に、ミーティングを開催しました。
ミーティングの結果、「自分おたすけ研究会(通称:たす研)」という名前を付けることに決めました。
自分の苦しみ、しんどさ、生きづらさについて語れる場。そして、自分の助け方をともに研究する場。これが、たす研です。
次は28日に開催します。お気軽にお越しください。
仕事探し、始めました
さて最後になりますが、仕事を探すことに決めました。
めでたく大学院を修了できることが決まった訳ですが、それ以降のことを考えている余裕のない生活を送ってきた結果、4月から無職です。さすがにお金を稼がないと生きていかれないですし、教員以外のことも経験して自分の社会に対する見方を豊かにしたかったので、就職することにしました。
僕にはいろいろ苦手なことがありますが、その中でも「就労する」ことにはとてつもない苦手意識があります。
なぜ苦手なのかを考えたときに、僕は「とりあえず面接を受けてみる」とか「とりあえず働いてみる」といったことへの心理的ハードルがとても高いのかもしれない、と感じました。一回ここで働くと決めたら、数年間は頑張らないといけないとか思った瞬間、猛烈な不安に襲われ、動けなくなってしまうのです。
それに、選択肢が多すぎるゆえに、何が自分ならできるのかが全く見えず、「アタリ」をつけられません。誰かに就職先を紹介してもらった方が圧倒的に楽なのではと、正直思います。速さと要領の良さがなくてもやっていける仕事の紹介、お待ちしております。
……そのような気持ちと向き合いつつ、少しずつ「未経験OK」の求人を探して応募しています。大学院で学は深めたけれども、就職に有利になるスキルは何一つ身に付けてこなかったので、自分のカラッポさが浮き彫りになって心を削られていますが。収まるべきところに収まれるといいな。
大学生のための、生きやすさを生み出すための恋愛序説③「「若さモテ」に気をつけろ」
今回は「先輩からモテる」ことに潜む罠についてです。
大学に入学して一番最初の大イベントに、サークルの新歓があります。どのサークルも、新入生を獲得するために血眼になって勧誘をかけます。
僕は学生時代は混声合唱をしていたのですが、混声合唱はパート毎のバランスが大事であり、男性の方が声量が大きくなりやすいため、女性が少ないと聞こえるべきところが聞こえなくなってしまうということになります。そのため、女性を獲得することは毎年新歓の至上命題であり、あの手この手を使って女性の獲得に躍起になっていたことを思い出します。
しかし今思うと、この考え方は非常に歪んだものでした。なぜなら、そこでは女性はサークルを成り立たせるための「手段」としてしか見られず、ひとりの人間として尊重するという考えにはならないからです。その空気に僕も知らずしらずのうちに巻き込まれ、女性を「手段」と見なす考えを形成してしまったように思います。
本来なら、どのようなメンバー構成になったとしてもそこからベストな音楽を作っていこう、というのがあるべき姿のはずです。大学の混声合唱団のみなさまにはぜひ、自団体のあり方を見直してほしいと願う次第です。
男性が女性向けの記述を書くことの危うさ
今回はどちらかと言えば女性向けの話になると思うのですが、非常に偏った記述になっているかもしれません。
そもそも、男性が女性向けの記述を書くことには、常に危うさが潜んでいます。
なぜなら、この社会では男性は知らずしらずのうちに下駄を履かされている場面が多々あり、「全体として見れば」男性であることは優位性を持ってしまうためです*1。優位な立場にある男性が女性のことについて語るというのは、常に女性への「見下し」を免れることができません。
また恋愛においては、依然として男性が欲望「する」側、女性は欲望「される」側であるという認識がまかり通っています。そのため、男性が女性について語ること自体に、「男性に欲望されるような女性であれ」というメッセージが潜んでしまいます。
じゃあ、なぜこの記事を書くのか。それは僕自身が、男性の問題と女性の問題が、コインの裏表の関係にあると思っているからです。
前回の記事にて、現在の社会には「彼女がいる=有能である」すなわち「彼女がいない=童貞=無能である」と思い込ませる構造が存在していることを明らかにしましたが、その構造は女性の恋愛にも大きな影響を及ぼしています。
詳しくは二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読むことをお勧めしたいのですが、この記事では僕なりに、社会の構造と適度な距離を保ちつつ、幸せに生きるために必要なことを考えていきたいと思います。
なんだか前置きが長くなってしまいましたが、本題に入りましょう。
「若さモテ」とは何か
さて、大学に入った女性が、 (特に年上の) 異性との交流機会が急激に増えることでいきなりモテ始めることは、本当の本当によくあります。
まだ右も左も分からない新入生に、先輩たちはとても優しいです。優しくて頼りになる先輩に、あなたは「男らしさ」を感じるかもしれません。もしかしたら、告白されることもあるでしょう。いずれにせよ、チヤホヤされるのはとても気持ちがいいものです。
ですが、その「モテ」は、本当に良い「モテ」なのでしょうか?
身も蓋もないことを言いますが、優しくしてくる人たちの中には、あなたが「若い女性だから」優しくしているという人が少なくありません (かつて自分にもそういうところがあったからこそ言えるのですが) 。
もちろん純粋にあなたの力になりたい、人間としてのあなたに惹かれたというケースもあるでしょう。しかし、「だって好きだから」という大義名分で「経験値稼ぎ」のために女性を利用しようとする男性は、残念ながら少なくありません。なぜかと言えば、男社会の中には、年下の女性と付き合えること、あるいはセックスできることが、男としてのステータスになるという側面があるからです (これは前回の記事でも述べたところです) 。
では、女性を取り巻く社会構造とは一体何なのでしょうか?
大学でいきなり「女らしさ」に巻き込まれる女性たち
高校までの期間において、多くの女性は「一人前の自立した人になれ」というメッセージを学校から受け取り、「男性に欲望されるいい女になれ」というメッセージを情報誌やネットなどのメディアから受け取っています。この相矛盾したメッセージは、実は多くの女性をしんどくさせているのではないかと、僕は想像しています。
それでも高校までは、校内にいる限りでは交流する人の層が限られているため、過剰に「女らしさ」を意識することもなかったのではないでしょうか。
しかし大学に入ると、途端に社会が作り上げた「男に好かれる女、モテる女がいい女である」という風潮に「巻き込ま」れ、戸惑いを感じる人が少なくないように思います*2。「高校までは自分らしくいられたのに、大学に入ってから「女ってこういうもの」みたいな空気に戸惑った」と、ある女子校出身の友人は話していました。
近年は就職予備校化しているところもありますが、大学は (入学難易度が高ければ高いほど) 世間から離れて、真理を追求できる場です。
しかしその一方で、大学は「こうしなければいけない」という決まりがほとんどなく、基本的に自由であるため、社会の風潮がよく反映される場でもあります。ですから、多くの人が大学で知らずしらずのうちに「男とはこういうもの」「女とはこういうもの」という価値観を身に付け、その価値に合わせようと必死になったり、あるいは「自分は女らしくない」という自己否定に陥ってしまったりしてしまうのです。
「自分はどうしたいのか」が一番大切
もちろん、どのような人に自分はなりたいのか、男性の好意をどう受け止めるのかは個人の自由です。もしかしたら、今まで気づいていなかった自分の魅力に気付き、自分の可能性を広げるきっかけになることもあるでしょう。
しかし同時に、「自分はどういう恋愛がしたいのか」について自分で掘り下げることも、また大切なことだと思います。自分のことを知った上で、もし自分が望まないお付き合いやセックスをさせられそうになった時は、ハッキリと断る覚悟もいるかもしれません。
自分のことを知ろうとする経験を重ねておくと、いずれ来る就活の時にとても役に立ちますし、何より自分を大切にできるようになります。
「どんなことに幸せを感じるのか?」「自分は何が許せて、何が許せないのか?」を知っておくことによって、本当は望んでいないことをせずに済むようになり、自分が本当にしたいことが見えてくるのではないかと思います。
あなたはモテるから価値がある訳ではない。あなたはあなただからこそ素晴らしいのです。ぜひ、ありのままの自分自身を大切にしてあげてほしいなと、僕は思ってしまうのです。
大学生のための、生きやすさを生み出すための恋愛序説②「「卒業」してこそ一人前というのは本当か?」
今回は、ズバリ「童貞」にまつわることについて、大真面目に書いてみたいと思います。
このテーマは、僕自身が長い間こと悩み続けてきたテーマですが、実は現在の社会構造とも大きく繋がった、非常に根深い問題でもあります。
大学生になると性の話が増えるのはよくあることですが、男子大学生の間ではとりわけそれが顕著です。
大変嫌な話なのですが、世の男性は「童貞かそうでないか」「彼女がどれだけ「いいオンナ」なのか」「何人と「ヤッた」のか」ということによって、男としての価値を競い合う傾向があります。とりわけ、童貞であることはマイナス査定に繋がりやすく、あまつさえ「童貞は人間として問題がある」という認識がまかり通っているほどです。
そんな社会の風潮を内面化してしまった僕は、「彼女がいない自分は人間として劣っているのではないか」「自分は人間として終わっていて、誰からも愛されることなく死んでいくのではないか」という恐れを常に抱えていました。
しかし、ここ半年辺りでそういった恐れがピタリとなくなりました。なぜかと言えば、自分の「ままならなさ」と何とか折り合いをつけて、自分を大切にするすべを少しずつ身に付けていったからかもしれません。
社会の風潮よりも、まず自分がどうありたいか。自分は何に喜びを感じるのか。この問いを置き去りにしたまま恋愛しても、自分を幸せにすることはできません。いくら経験人数が増えたとしても、心に虚しさしか残らず、相手の心に見えない傷をつけ続けるだけでしょう。
では、私たちはいかにして「一人前」「大人」になっていけばよいのでしょうか。社会構造を踏まえつつ、これから考えていきましょう。
主に男性向けの話になると思いますが、女性にとっても得るものがあるかもしれません。
彼女がいる=能力がある、と思い込ませる社会
そもそも、なぜ童貞であることは「悪」とみなされるのでしょうか?
冷静に考えたら、性経験の多寡によってその人の人間性が決まるなんて変な話でしょう。なのになぜ、性経験が人間の価値と直結して (いるように見えて) しまうのでしょうか?
まず大前提として知っておきたいのは、彼女がいるということが「この人には彼女を作れる能力がある、だから有能なはず」と思う人が少なからずいるということです。
「彼女を作れる能力」というのをもう少し細かく掘り下げると、女性の立場に立つことのできる心の余裕、女性をリードできる度胸のよさ、女性の人間としてのあり方を受容できる寛容さ、女性に危害を加えない優しさ、いざというときに女性を守れる強さ、あるいは安定した生活を保障する経済力、などが挙げられるでしょうか。
ただしここで注意してほしいのは、こういった能力を持っていれば必ず彼女を作れるようになる訳ではない、ということです。これらの能力を持っていなくても彼女ができる人はできます。
にも関わらず、「彼女がいる」ことがシグナルになるのはなぜでしょうか。これは、現代社会において求められる人間像が変化したことが大きいでしょう。
戦後数十年続いてきた終身雇用・性別役割分業が崩れ、進学→就職→結婚→出産というライフコースが自明のものではなくなったことで、現在の社会では生き残るために「能動的」になる必要性が高まっています。そしてお見合い結婚が廃れ恋愛結婚が主流になったため、彼女を作り結婚するのにも能動性が求められるようになりました。
すなわち、現在の社会は「する」こと (doing) の価値がこの上なく高まっている時代であるといえるでしょう。恋愛も、そういった価値観と無縁ではいられない訳で、彼女がいるということが、自分の価値を示すための手っ取り早い手段になっているのです。
なんでも就活では、業界によっては性経験を聞かれることもあるそうです。普通に考えたらセクハラなので許されることではないのですが*1、どうやら彼らの中には彼女を作れること、セックスができること=営業などの成績を稼げること、人との関係構築ができることという「常識」があるようです。
「彼女ができにくい」人を苦しめる社会は、誰1人として幸せになれない社会である
上述のような社会構造は、必然的に男性を恋愛に焦らせるよう働きます。そのうえ男性社会というのは、力のある男性による支配を温存させるために、女性を「セックス付きのママ」化して支配し、「男らしくない」男性をカーストの下位に落として弾き出すようにできています*2。
断言しますが、この構造は誰1人として幸せにしません。
社会内での立ち位置を得たいがために「早く童貞卒業しなきゃ」という焦りによって無理矢理セックスに及ぶことは、女性を傷つけることになりかねません。また彼女ができない男性が、先輩とかに風俗に連れて行かれたり、いわゆる「童貞狩り」されたりと、好きですらない人との性行為で「卒業」することによって、性に対するトラウマを植え付けられてしまうことだってあります (女性に限らず男性も、望まぬ性行為がトラウマになることは大いにあり得ます) 。また、女性との交際に成功できなかった男性に対しては、不必要なコンプレックスを植え付け、自己否定感を高めて追い詰めてしまうことにも繋がりかねません (いわゆる「非モテコンプレックス」ですね) 。インセル事件が一時期社会を騒がせましたが、あのような事件はいつ起こっても全く不思議ではないのです。上手くいった男性も、男社会の中での立ち位置を高めるため、もっといい女と、もっと多くの人としなければと、際限ない競争に巻き込まれることになります。
結果として、みんながみんなで「争い合う」ことになってしまう訳です。
では、このような社会に対して、私たちはどう生きていけばよいのでしょうか?次からは、そのヒントを提示してみたいと思います。
人間の能力は複雑なものである
社会構造について知ったうえで、いよいよ自分のことに目を向けていきましょう。
まず、彼女ができやすい/できにくい属性というのは確かにあります。一例を挙げるとするならば、心のベクトルが外側に向きやすい外向的な人が有利になり、内向的な人は残念ながら短期的に見ると不利になってしまいがちです。
では、内向的な人は性格改造しなければいけないのでしょうか。僕はそうは思いません。内向的な人には内向的な人なりの「よさ」があります。
僕が思うに、内向的な人はじっくりと腰を据えて物事に取り組むことが得意な人が多いように思います。すぐに成果を出すことは難しくても、長い目で見た時に大きな価値がそこに蓄積されていた、なんてこともあるかもしれません。このような特徴は、家庭生活ではむしろプラスにはたらくでしょう。あと僕的には、一緒にいて安心できるのも、内向的な人が多いように思います (僕が内向的な人だからかもしれませんが) 。
そもそも、多様だからこそ人類はここまで生き残ってこれたのです。あなたはあなた「である」 (being) からこそ尊いのであって、自分を卑下する必要はありません (もっとも、だからと言って好きな相手のことを知ろうとする努力をサボってはいけません。また、「自分のあり方は正しいんだ」と自信満々に振る舞うのは、ただの見栄っ張りでしかないです。勘違いなきよう) 。
人間の能力というのは複雑なものであり、どのような性質がどのような効果をもたらすのか、簡単に言い切ることはできません。一見「好ましくない」と思われる性質が、誰かにとっては好ましい性質であることは十二分にありえます。ぜひ、人間の多様性を面白がれる人になってください。
「自分の心の中の女性」が惚れる男になろう
最後になりました。では具体的に、どういう人になることを目指せばよいのでしょうか?
まず、男同士の競争を煽り立てるようなコミュニティからは、できるだけ距離を取った方がよいでしょう。ありのままの自分を大切にしてくれる文化があるコミュニティがよいですね。
その上で、ぜひ「自分の心の中の女性」が惚れる男性を目指してみてください。これは、AV監督であり恋愛のスペシャリストでもある二村ヒトシ氏が提唱するものです*3。
生物学的に男性であっても、女性的な部分というのは必ずあります。そこに気づき、どんな自分だったら一緒にいたいと思えるかを探っていってください。
「自分の中の女性的な部分がわからない!」という人は、ソシオドラマ*4というアクティビティで女性役を演じてみるのがオススメです。男性として生きていては見えなかったことに気づき、大きな発見が得られること間違いなしです。
皮相的なモテ論や恋愛論に振り回されることなく、つまずきながらでいいから己が道を歩んでいってほしいなと僕は思います。その経験が、必ずや自分を豊かにしてくれるはずでしょうから。
*1:あまり意識されていないことですが、男性に性的なからかいや嫌がらせをするのもセクハラです
*2:社会学者のセジウィックは、このような男性のあり方を「ホモソーシャル」と名付けました。詳しくは『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』を参照。
*3:詳しくは、二村ヒトシ『すべてはモテるためである』を参照。なお、女性が逆パターンをする (自分の心の中の男性に求められる女性になろうとする) のは、自己否定に陥るのでやめた方がよいようです。詳しくは同著者『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』参照
*4:シチュエーションと役割だけ与えた即興劇を行うことによって、登場人物の心理に触れるためのアクティビティ
大学生のための、生きやすさを生み出すための恋愛序説①「はじめに」
春になりましたね。
春といえば、入学の季節ですね。
この記事を読まれている方の中には、この春から大学生になる方もいらっしゃるかもしれません。まずは受験勉強、大変お疲れ様でした。これからの大学生活が素晴らしいものになりますよう願うばかりです。
さて、大学・大学院の7年間で、僕は恋愛での失敗を沢山やらかしました。
失敗経験は痛みとなって僕を襲い、自分に絶望して布団の中から出られなくなったことも、1度や2度ではありませんでした。ですが、数々の失敗経験は同時に、生きる上で大切なことを気付かされるきっかけにもなったと、大学生活を終えようとしている今となっては思います。
大学生になると、求める求めないに関わらず恋愛に触れる機会が格段に増えます。恋愛と隣り合わせの空気感に「晒される」中で恋愛に目覚めたり、あるいは、高校と大学とのギャップに戸惑い翻弄される人も少なくありません。
恋愛をすることは、人生を豊かにして、生きることの喜びをひしひしと感じさせてくれるものです。しかし一方で、恋愛は一歩間違えると自分の身を滅ぼすことにもなりかねない、非常に危ういものでもあります。どんないい薬でも、摂りすぎると毒になるのと同じです。
この連載は、大学生の恋愛に潜みがちな罠を明らかにして、「上手くやれるかな、彼氏・彼女できるかな……」「彼氏・彼女との関係、これでいいのかな……」などと思っている方が、キラキラできなくてもそれなりに幸せに生きられるためのお手伝いをするためのものです (そうであってほしい) 。
ですから、モテモテになるだとか、イケメンや美女をGETするための情報では断じてありません。そのような上昇志向を持つ方のための情報は他に山ほどありますので、ぜひブラウザバックをおすすめします。
逆に言えば、「それなりに幸せに生きる」ための恋愛指南は少ないです。それはなぜでしょうか。
まず第一に、そういうものでは市場が作れず、お金にならないからです。この社会は、人の欲望を煽ることでお金に換える装置で溢れかえっています。オシャレな服も、流行りの店も、気持ちいいサービスも、別に生きるために必要なわけじゃない。だけど、欲望を満たして幸福感を手にするためなら、私たちは簡単に金を出すのです。だから市場ができる訳です。この記事は、そういった欲望を刺激する類のものではありません。
第二に、「幸せ」の形は人によって違うため、一般的なことを書くのが難しいからです。恋愛一つ取ってみても、例えば僕は相手と思い出を共有することや、相手と世界観や感性を通じ合わせることに幸せを感じるのですが、そういった価値観を全員が全員持っている訳ではないでしょう。自分の幸せは、様々な経験をすることで見つけていくもののように思います。
この連載が、一人でも多くの人の支えになれば幸いです。
それでは、長くなりますが最後までごゆっくりお付き合いください。
ふくわらいが生まれ変わります~ミーティング (3/13) のお知らせ
ふくわらいが生まれ変わります
2019年3月にスタートしたふくわらいですが、この度2020年4月から、「シェアハウス付きミーティング」として新たに生まれ変わります。
3/4 (水) 15:00より、僕の運営しているシェアハウス「ふくわらい」にて、その第一弾となるミーティングを開催します。
※3/4追記:ミーティングは13 (金) 15:00に延期することになりました。よろしくお願いします。
いまのところ、「「シェアハウス付きミーティング」とはどういうミーティング (ではない) か?」「1人1人の最近困っていること」「ミーティングの頻度はどうするか」などについて話す予定です。興味のある方はぜひお越しください。
このミーティングは、ふくわらいにとってだけでなく、シェアハウス全体にとっても新たな一歩となると僕は思っています。ミーティングに先立ち、僕が「シェアハウス付きミーティング」を掲げることでどんな場所を作っていきたいのかを、明らかにしたいと思います。
「シェアハウス付きミーティング」とは
「シェアハウス付きミーティング」というネーミングを見て、何じゃそりゃと思った方もいるかと思います。
「シェアハウス」に「ミーティング」という言葉がくっつくのも謎だし、そもそも「ミーティング付きシェアハウス」ではなく「シェアハウス付きミーティング」って何?って話かと思います。これには深い意味があります。
1年間シェアハウスをしてきて、シェアハウスに住むことには意義があると強く感じました。これは僕のブログの過去の記事でも書いてきたことです。
しかし一方で、シェアハウスの限界も感じました。それは、他者の生活を自分1人で背負わなければならないしんどさでした。他の住人との摩擦などで疲れ果て、「もうシェアハウスなんかしたくない……。」と思ったことがあったのも事実です。
1年間の経験から、僕はシェアハウスのよいところを活かせるようにしたいし、生活を共にすることによって得られるものにフォーカスしたいと思うようになりました。
「シェアハウス付きミーティング」構想は、当事者研究仲間と話しているときに思いついたものです。
定期的に開かれる自助会や当事者研究会は、生きづらい人の居場所に間違いなくなっています。僕自身、当事者研究に参加するようになったことで、自分のしんどさを話せるようになったり、自分の助け方を考えられるようになり、生きやすくなりました。
だけど、家に帰ったらまたひとりです。一人暮らしは自由で、そして圧倒的に寂しい。また、家の中から外に出るにも気力が必要な場合だってあります。居場所に参加することで、一時的に苦しさを緩和できても、生きやすさを生み出すことには必ずしも繋がっていないのではないでしょうか。
それなら、家がミーティング場所だったらどうでしょう。いつでもミーティングができる場所が住む場所なら、当事者研究や自助会がやりたい時にできる。それによって、シェアハウスが本当の意味で生きやすさを生み出す場になる。そんなことを、僕は期待しています。
「シェアハウス付きミーティング」とは、「シェアハウスというプラットフォームを活用した当事者研究グループ」と言うことができるでしょう。
一緒に運営してくださる方を募集しています
この試みが成功すれば、シェアハウスの可能性が広がることは間違いないはずです。しかし、この活動はひとりではできません。僕と一緒にミーティングを運営してくださる協力者が必要です。
一緒に住んでくださると嬉しいですが、一緒に住まなくても、月額で会員になれるシステムを導入することも考えています。会員になることで、ミーティング参加し放題&泊まり放題になる、といった感じです。
シェアハウスによって、自分で自分を助けるための仕組みが世の中に広く普及すればいいなと僕は考えています。一緒に活動しませんか?