絶望と、湧いてきた夢

※5/10追記:成績証明書、今日届きました。採用試験に向けて頑張ります。

 

教員採用試験の季節は、どうやら僕にはやってこないようだ。

 

今年こそリベンジするつもりで出願の準備を整えたのだが、母校に請求した成績証明書がまだ届いていない。GW前に請求書を送れば十分だと思っていたのだが、GWの長さを甘く見ていた。

〆切はもう次の火曜日に迫っている。このまま成績証明書が届かなければ、採用試験を受けることができず、1年を棒に振ってしまうことになる。

 

「1年を棒に振る」。この言葉が頭に焼き付いて離れなくなり、胸がギリギリと締め付けられた。

 

自分の教職への思いは、採用試験の出願準備を面倒臭くて先延ばしにする程度のものでしかなかったのかもしれない。

付け焼き刃で日々を乗り越える中で、いつの間にか笑顔が消えていた。「頑張らなければ」というプレッシャーが大きすぎて、心の余裕ややさしさを失っていた。笑えない自分、やさしくなれない自分への自己嫌悪をどうすることもできない。自分のなりたかった教師像とは真逆の教師に、いつの間にかなってしまった。

なんで僕は高校の先生になりたかったんだっけ、と考え直さざるを得なくなった。

 

考え直してみると、僕を教職へと突き動かしていたものは、出身高校に対する愛着だったことに気がついた。

いい思い出ばかりではなく、むしろ嫌な思いもいっぱいしてきたけれど、それでも僕は、自由で選択肢がいっぱいあって、生徒のやりたいを形にできる環境がある、あの母校が好きだった。教育実習を通して、さらにその思いは強くなった。

高校の先生になりたいという思いの背景には、母校の教壇に立ち、生徒たちが最高の高校生活を送るためのコーディネーターになりたかった、ということが今はよくわかる。

 

もちろん、この動機だけで公立高校の教師が務まるとは全く思っていない。けど、自分の思い自体はなかったことにはできない。

今まで、「どんな環境に置かれた人でもアクセスできる公教育に携わって、いい教育をめざしていくべきだ」という理屈で公教育に関わっていたけど、本心は別のところにあった。そのことに気づけたのは、大きな収穫だった。

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高校教育に関わりたいと思ったときに、こんなことも思い出した。

 

友人の何人かが、学生時代からとある島に関わり続け、現在はその島に移住している。僕も2度行ったことがあるが、本当にいいところだし、色んなことに挑戦している人がいて面白そうだとも思った。

そんな時に、島の高校で「高校魅力化プロジェクト」のコーディネーターの募集案内を見つけた。自分がやってきたことも活かせるし、地域を盛り上げていくことができる。こんなにいい仕事はないと思って、応募してみた。だけど、当時は自分に自信がなく、全く知らない土地へ行くことの不安も強かった。

書類審査に合格し面接の案内をもらったけど、結局面接は受けなかった。こんな自分が行って大丈夫なのだろうかという思いがあり、気が進まなかったのである。それは仕方のないことであった。

 

いつしか諦めていた、教育から地域を盛り上げていくという夢を思い出し、久々に気持ちが熱くなった。

あのときは自信がなくて飛び込めなかったけど、ある程度(といっても半年くらいだけど)先生としての経験を積み、どのようにして社会に貢献したいのかを地に足着けて考える足がかりができたことで、ようやく自信を持てそうな気がしてきた。

だからこそ僕は、自分の中に深く自信の根っこを張るためにも、まずは今の仕事、中学校の講師という仕事を全うしようと思う。

 

自分ひとりで勝手に絶望することも、自分を傷つけてきた人たちを恨むことももうやめたい

教員採用試験に落ちた。

 

受験結果を見たところ、一次試験の筆記はかなり良い点数を取れていたのだが、面接がメインの二次試験の評価は最低ランクだった。つまり僕は、面接で弾かれたということになる。これほどわかりやすい評価も滅多にないよな、と思った。「今の君のままでは教師として失格」「出直してこい」と言われているような気がした。

 

採用試験の準備のことを反省すると、「最後の最後で踏ん張り切れなかった」ということに尽きる。一次試験の筆記は全力で取り組んだし、小論文は研究室の先輩に見ていただき、良いものが書けるように最後まで頑張った。苦手意識があった集団面接は、先生をしている友達何人かにわざわざ練習をお願いして、Zoomで練習させてもらった。友達の言葉のおかげで、先生としてやっていくことに自信も持てた。ここまでは、我ながらよく頑張ったと思う。

ところが二次試験は、個人面談・模擬授業とも、誰かに見てもらうということをしなかった。一応、どんな質問をされそうかを聞いたりはしたものの、基本的には一人でやっていた。

今思うと、他者の目からみて自分がどう見えているのかがわからないのに、まともな面接対策などできる筈もなかった。他者の目線に触れて自分の言動を修正する機会を自ら手放してしまったし、結局模擬授業はロクに準備することもなく本番に臨んでしまった。恐らく、面接官から見ても僕の準備不足はバレバレだっただろうと思う。

模擬授業にしても面接にしても、その場で上手くやれることが大切なのではない。むしろ、「上手くやろう」と精一杯努力を積み重ねる姿勢が本番で現れ、そこに受験者の人柄が見えるのだと思う。それに、「上手くやろう」と努力すれば、それなりに本番でも上手くいくものだ。そう考えると、僕は明らかに精一杯さが足りなかった。いや、精一杯さが必要なのは頭ではわかっていたけど、実行できなかった。

なぜ僕は一生懸命やれなかったのだろう。もちろん、一次試験に合格したことで安心して、気が緩んでしまったという面はある。しかし、準備とは言えない面接準備をする中で、僕はつねに心の中でブレーキをかけていたように感じた。精一杯頑張るということを、自らに禁じていた。

 

なぜそのようになったのかを考えると、20歳頃までの僕は、逆に何でも頑張りすぎるくらい頑張ってしまう性質だったことにたどり着く。それまでの僕は、勉強とかも部活とかも学校行事とかも、むしろ目一杯頑張るタイプだったのだ。

だけどその頑張りは、多くの場合「誰かに自分の価値を認めてもらうため」の頑張りだったように思う。勉強を頑張るのはテストの点数が高いことで価値を認めてもらいたいから、部活を頑張るのも自分の価値を感じたいから、行事に参加するのも価値を感じたいから。俗に言う承認欲求の塊である。

全力で頑張って報われたこともあれば、報われなかったこともあった。報われやすいジャンル (勉強が一番いい例) も、報われにくいジャンル (音楽とか恋愛とか) もあった。それらの経験を通して、僕は「頑張っても報われないこともある」ということを学んでいった。しかし僕は同時に、「頑張っても報われないのなら、もう頑張りたくない」という気持ちに、 徐々になっていった。そしていつしか、精一杯頑張ることを避けるようになり、結果つまずいて今こうなっている。

僕にとって本当に必要だったのは、自分に価値がなくても大切にしてもらえることだったのだと思う。だけど当時の僕はそれを十分にわかっていなかったから、人の承認を得ることに、おかしいほどに必死だったのかもしれない。そして「大切にしてもらいたい、受け入れてほしい」という欲求は未だに消えていない。「こんな自分でも、世の中で生きていける」ということを保証してくれる何かが欲しい。そんなものいくら願ったところで、手に入る訳ないってわかってるのに。

 

「自分はそのままでは価値がない、むしろマイナスの存在だ」という信念が、自分の中のどこかにある。その信念は、生きていく中で、さまざまな人にさまざまな心無い言葉を浴びせられたことによって徐々に形成され、今も事あるごとに自分を絶望させる。過去の嫌だったことや辛かったことを思い出して、自分ひとりで勝手に絶望してしまう。そんなことしてもいい事なんかないってわかってるのにやめられない。「わかっちゃいるけどやめられない」から、一層しんどくなっていく。そして、自分を傷つけた人たち、利用しようとした人たちに対する恨みの気持ちが止まらなくなる。こんな自分にしやがって。許せない。

おそらくそれらの言葉を言った人たちの多くは、わざと傷つけるつもりで言った訳ではないだろう。むしろ、僕のためを思って言った人もいたと思う。だけど、当時の僕には、その言葉をポジティブに変換するだけの余力を持ち合わせていなかった。僕は、降りかかる言葉の火の粉から自分の身を上手く守ることができず傷ついていった。

という訳で、自分を傷つけたり利用しようとした人間のことを未だ許せないでいるのだが、同時に、そういった人間から離れられなかったのは、僕の問題であったとも思っている。自分には価値がなく、相手が上で僕が下という感覚を持っていたからこそ、自分をいいようにする人たちの言うことを最終的には聞いてしまった。そして、聞くべきことと聞いてはいけないことを見分ける感覚を身につける機会を、自ら手放してしまったのである。

傷つけてきた人たちからは離れられたが、「誰かに傷つけられないか」という恐れは未だに消えていない。「誰かに認めてもらうために頑張る」以外の頑張り方を、僕は未だに獲得できていない。何に対して頑張るべきかを、ずっと間違え続けているような感覚がある。頑張るべきところで頑張れず、逆に頑張らなくてもいいところで頑張ってしまう。

 

ただ一つだけわかるのは、絶望や恨みが事あるごとにやってくる今の状態が、決していいものではないということだ。自分ひとりで勝手に絶望することも、自分を傷つけてきた人たちを恨み嫌い続けることも、できるならもうやめたい。でもそのやめ方がわからない。どうすればいいんだろう。

「自分の弱さを認めてあげる」ことについて等

お知らせ

 

・大学院を修了して仕事を探していましたが、紆余曲折あって高校教員を目指すことにしました。

 

・また、実家に帰ることにしたため、ふくわらいは5月末をもって解散します。短い間ではありましたが、本当にありがとうございました。教員採用試験が終わったら活動の総括をします。

 

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先日、とある友人が、自分との関わりでしんどい思いをしたことを話してくれた。

詳細は伏せるが、僕の配慮が不足していたために傷ついたということだった。

 

この件自体は、自分の至らなかった点をしっかり反省して、同じ過ちを二度と繰り返さないようにすればよいのかもしれない。

しかし僕はシェアハウスをやっている間に、実は似たような過ちを何度かしでかしており、それが原因で小さな、でも決して軽くはないトラブルを引き起こした。結果として様々な人間関係にヒビを入れ、シェアハウスをダメにしてしまった。

そのことを思い出した僕は、唐突にいくつかツイートをした。

 

 

シェアハウスを続けていくために不可欠なものは何か。今の僕だったら、はっきりと「金」と「信用」だと答える。

 

家を借りると、毎月家賃を支払う必要が出てくる。家賃を支払えなければ住み続けることはできない。金のことで大切なのは、部屋に空きが出たとしても数ヶ月は耐えられるようなレベルの家賃設定をすることである。部屋に空きが出ないことを前提とした家賃設定だと、空きが出た時にすぐ行き詰まってしまう。定職に就いておらず自分の財布に余裕がないのならなおさらだ。

信用とは、「このシェアハウスなら自分の身を任せても大丈夫だ」と思ってもらえることである。そのためには、どのような支払いがいくら発生するのか、ハウスルールはどのようになっているのかを、予め可視化しておく必要がある。条件に合わない人には、受け入れを断ることだってあり得るだろう。そういった方針がしっかりしていないと、なかなか「このシェアハウスに住みたい」とは思えない。家というのは、自分の生命を一時的にでも丸ごと預ける場所だからだ。

 

金と信用がしっかりしていれば、生存率は格段に上がるだろう。しかし僕はこの2つをおろそかにした。その結果、関わる人を傷つけてしまったし、解散の原因にもなった。

それはなぜか。もちろん僕の社会経験不足もあるが、それ以上に僕のとある「信念」が、しっかりすることを邪魔していたように思う。一言で言えば「弱さを力に」とかいうものである。

 

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そもそも僕がシェアハウスを始めたのは、就職と恋愛の失敗経験によって、自分は「進学→就職→結婚→子育て」という人生の正解ルートに乗れない人間だという自己認識を持つようになったからだった。「正解」に乗れないからこそ、そのような人たちを結びつける場所を作る必要があるし、これは間違いなく社会的意義があると思っていた。疲れ果ててしまった今でも、シェアハウスの意義自体が失われた訳ではないと思っている。

僕はシェアハウスを運営する上で、「弱くても、人同士の結びつきを作ることによってより良く生きていくことができる」と信じていたし、そうなるべきだと思っていた。しかし、現実はその通りにはいかなかった。

 

叩かれることを承知で言えば、弱者の世界というのは、不信をベースに成り立っている世界である。不信ベースの世界観では、基本的には周囲の人はみな敵であり、人とつながるのは「コイツは信じるに値する人間だ」と判断した時のみである。一方、信頼ベースの世界観では、基本的に世界は自分の味方であり、無条件に人を信じることができる*1。不信ベースに生きてきた人間が、信頼ベースに生きられるようになるのは容易でない。

信頼ベースでなければ、人同士が真に結びつくことはできない。人と出会うたびにいちいち値踏みしなければいけないというのは、値踏みする側にとってもされる側にとってもストレスだからだ。条件付きでないと信じてくれない人と、無条件で信じてくれる人、どちらが長く付き合いたいと思うだろうか?

 

そういう訳で、僕の「弱くても、人同士の結びつきを作ることによってより良く生きていくことができる」いう目論見は見事に外れてしまった。しかし僕は、その現実を認めることができず、かたくなに「しっかりしないことの価値」を信じ続け、軌道修正ができなかった。少なくとも秋辺りで軌道修正していれば、もうちょっと違った結果になったかもしれない。それができなかったのは、信念の誤りを認めることができなかった弱さが原因だったと言う他ない。

 

「弱さを力に」変えるためには、大前提として弱いままでいられるための強いバックボーンが必要である。それも思想的なものと物質的なもの、両方である。

僕はその点、誰かを受容して居場所になろうという気概はなかったし (むしろ受容できないことを「弱いんだから仕方ない」と開き直っていたところがあった) 、場所を維持するだけの経済的な基盤もなかった。結局僕は、自分の弱さに足元を掬われる形で、シェアハウスを畳むことになったのである。

 

シェアハウスを畳む段階になって、僕は自分の弱さを初めて心の底から恨んだ。誰かに勝てなかったから恨んだのではない。守りたいものを守れなかったから恨んだ。この悔しさは、きっと一生僕の中に焼き付いて消えないだろう。

 

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僕は男性学に触れてから、自分が何に苦しめられてきたのかを知って、自分が傷ついたことを「傷ついた」と認めるプロセスを通して、ずっと「自分の弱さを認めてあげる」ことをし続けてきた。それは、ずっと僕が背負い続けてきた感情的な重荷を降ろし、自分をラクにすることに繋がった。

しかし、自分をラクにしようとし過ぎた結果、ラクになるためには何をしてもいい、無神経になったも構わないという行き過ぎた考えを持ってしまったように思う。そんな自己中心的な考え方で、どうしてしんどい人に寄り添うことができるだろうか?

「自分の弱さを認めよう」とした結果、もっと根本的なところにある自分の弱さを見過ごしてしまった。これでは本末転倒である。

 

しかし一方で、弱さを認めてあげることをしなければ、今回のように自分のあり方について反省することもできなかったように思う。自分を大切にするという姿勢が身についたからこそ、自分にとって前向きな苦言を素直に受け入れられるようになった。以前の僕だったら、自分を守るために何か言われたらすぐ感情的に反発していただろう。

 

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最近、僕は自分について、「学ぶことに特化した人間」だと思うようになってきている。

どういうことかと言うと、普通の人が生きてさえいれば当たり前に学べることが僕は特性上学べないので、事後的にでも意識して学んでいくことが生きていくための道である、そして一旦学習できれば、それを活かして自分にしかできない何かができるかもしれない、ということである。

 

「事後的にしか学べない」というのは、何をするにつけても周りの人よりも一歩、あるいはそれ以上遅れを取ってしまうことを意味する。自分が「遅い」人間であることを認めるのはつらい。だけど、自分の先を行く人たちが目もくれなかった花を見つけることはできる。それが僕のような人間の、幸せに生きる道なのだと思う。

 

「普通のふりして生きる」のがしんどかったから「自分にしかできないこと」を探してみたけれど、僕にとってそれは「正解」のルートから外れた生き方をすることではないと、シェアハウスをやった今となっては思う。

むしろ、通常のルートに乗っかろうとしつつも、そこで起こる様々な困難に対して向き合い、どのように乗り越えていけばよいのかを日々模索し続けていかねばならない。そしてその時に、シェアハウス活動をしたことや人文学を学んできたことが力になるのかもしれない。

 

 

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「自分が教員を志望した理由は何か?」について改めて考えてみる。

 

これまでの経験をひっくるめて僕が思うのは、人が生きていくうえで一番大切なことは「自分のことを、自分であるという理由で認められること」だということである。無条件の自己肯定、あるいは自己受容と言い換えることもできるだろう。僕は教員として、そういう人を育てたい。

 

では、どうしたらそのような人を育てることができるのだろうか?これについて考えようとおもったけど、如何せんもう気力が尽きてきた。またの機会に書こうと思う。

*1:もちろん、付き合ってみて「コイツと関わるべきではない」と判断したら、つながりを切ることもあるだろう。しかしこちらの方が人間関係としては健全ではないだろうか。不信ベースで生きている人は、一度「コイツは信じられる」と判断してしまうと、その人が自分に害を与える存在だとわかっても関係を切れないという悲劇が起こってしまうように思う

「ひと休み」のススメ ~サー同はいつもあなたのそばに~

※この記事は、サークルクラッシュ同好会新歓リレーブログ企画10日目の記事です。9日目の記事はsilloiさん (@silloi93) の「抱かなかった女たちの話」でした。

 

こんにちは。サークラ同好会会員のまるちゃん (@marusingfire) です。会員になってもうすぐ1年半になります。

今年の3月に大阪にある某大学の大学院を修了し、現在は紆余曲折あり高校教員を目指して勉強中です。関西からはもうじき離れてしまうのですが、これを今読んでくださっている方々といつかお会いできたら幸いです。

 

さて、コロナのせいで始まった感があまりないとは思われますが、新入生のみなさま、ご入学おめでとうございます。

この記事は、サークルクラッシュ同好会というサークルに入ることが大学生活の中でどのような意義を持ちうるのかを、一会員として考えてみたものです。

 

サークル選び中の新入生のみならず、「自分の大学生活、これでいいのかな……」とモヤモヤしている上級生にとっても、この記事が少しでも役に立てば幸いです。

 

大学生活は楽しい

 

大学生活は、「人生の夏休み」と言われるだけあって、(おそらくほとんどの人にとっては) 一生の中でおそらく最も自由な期間です。

この期間を十二分に活用することで、自分の可能性を果てしなく広げていくことができるでしょう。勉学やサークル活動、学外活動など、至る所に自己研鑽の機会は転がっています。

学生時代の僕は、合唱とか教育関係の活動とかシェアハウスとかミュージカルとか、結構いろんなことに手を出しまくってました。どれもそれなりに楽しかったですし、いろんなことをしたことで「自分はどのように生きていきたいのか」がわかるようになりました*1

今の人生が充実していると思えているのは、間違いなく大学生活のおかげだと言えます。

 

つらい時には「ひと休み」も必要

 

このように、大学生活は間違いなく楽しいです。

しかしその一方で、つらい・しんどいことも色々あります。例えば、サークル内で孤立した、好きな子に振られた、異性に弄ばれた、朝起きれなくて授業の単位を落とした、勉強する意味が見いだせなくなった、ぼっちで行動するのが怖い……などなど。

また、自由過ぎるゆえに、その自由に戸惑うこともあると思います。高校までは「やらなければいけないこと」をこなすだけでOKだったのが、大学に入ったらすべてを自分で決めなければならない……。これは意外とストレスの大きいことです。

哲学者のサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言いましたが、大学とはまさしく、みなさんに「自由の刑」を課す所だといえるでしょう。

 

つらくなった時。しんどい時。寂しい時。疲れてしまった時。「人生詰んだ」と思った時。

そんな時には、ちょっと立ち止まって「ひと休み」してみてもいいんじゃないかと、僕は思います。

「ひと休み」することで見える景色があるかもしれません。

見えた景色の中に、あなたのこれからに役立つヒントが眠っているかもしれません。

 

大学の放つまばゆい光の影に隠れてしまいがちですが、大学のどこか片隅に、「ひと休み」できる場所は必ずあります。

そして、サークルクラッシュ同好会は、「ひと休み」にはうってつけの場所ではないかと思います。

 

サークルクラッシュ同好会での思い出

 

ここからは、僕のサークルクラッシュ同好会での思い出を語ります。

 

一昨年の秋、精神状態が悪化して大学院を休学していた頃に、たまたま参加したジェンダー系の読書会で、サークラ同好会設立者のホリィ・センと出会いました。

ホリィ・センのしているシェアハウス運動に興味を持っていたこともあり、後日「またお話したい」という旨のDM*2を送ったところ、「NF*3サークラ同好会もブース出してるから、そこに来ればお話します」という返事を貰ったので、行くことにしました。

NFでホリィ・センや前会長のかしぱんと話をしたり、サークラ同好会の会誌を読む中で、「面白そうだし、活動参加してみたいな」と思いました。そこでかしぱんにサークラ同好会のグループLINEに招待してもらい、入会となりました。 

 

入会した動機としては、当時の僕が生きづらさをこじらせていて*4、しんどさを共有できる場を欲していたことにありました。

初めて参加した時、僕が学部時代にサークルで経験したしんどかったことを例会後の食事会で話したのですが、その話にある会員が興味を持ってくれました*5

これまでは「自分のしんどい話なんて誰も聞きたくないに決まってる」と心のどこかで思っていたのですが、多くの会員が人間関係で何かしらのしんどい経験を抱えていることもあってか、自分の話を興味を持って聞いてくれました。自分を受け入れてもらえる環境がそこにはありました。

それ以降、家から京大までは2時間近くかかるにも関わらず、例会にできる限り参加するようになりました。今はほとんど参加できていませんが、またいつか関西に戻ってくるようなことがあれば、参加したいと思っています*6

 

サークラ同好会の例会に初めて来た時、もしかしたらあなたはびっくりするかもしれません。ほとんどの人はスマホいじったり勉強したりしてて会話していないし、会話があるとしてもホリィ・センと親しい人がちょっと話しているくらい。時間通りに始まることはまずないし、何らかの目的がある訳でもない。ですが、何回か参加すると、不思議とサークラ同好会に居着いてしまうようになります。それはきっと、サークラ同好会が、空気を読んだり場を盛り上げたりしなくても「ただいる」ことを許容してくれる場所だからだと思います。

「ただいる」ことができる心のオアシス。それがサークラ同好会です。

 

大人にならなきゃいけないかもだけど

 

現在の日本社会は、産業構造の変化や経済的な衰退、またそれに伴うコミュニケーション能力至上主義によって、「生きづらい」人を大量に生み出し続けています。そのような社会に適応しながら生きていくのは、ある種の人にとってはとてもしんどいことです。

ですが、それにも関わらず、私たちは社会から完全に離れて生きることはできません。大学にでも残れればまた話は違ってくるのかもしれませんが、そんな人は極一握りです。私たちの殆どは、何らかの形で社会性を身に付けて、「大人になる」ことが求められます。

 

この資本主義社会で「大人になる」ということは、何らかの金銭的な価値を生み出せる人材になる、ということだと言えるでしょう。それが合っている人もいれば、合っていない人もいます。そして合っていない人にとっては、この社会はあまりにもつらい。

だけどもしかしたら、社会の荒波に翻弄されながらも、何とか泳いでいくための道がどこかにあるかもしれない。あるいは、この社会と戦っていく術を身に付ける方法がどこかで見つかるかもしれない。そして、サークラ同好会でその術を身に付けた僕は今、まさしく次のステージに進もうとしているところです。

 

 

この記事を読んでサークラ同好会に少しでも興味を持たれた方は、ぜひサークラ同好会のTwitterをチェックしてみてください。そして、もし入ってみたいと思った方は、ぜひグループLINEに入りましょう。「来る者拒まず、去る者追わず」サークラ同好会のスタンスです。

 

以上、長文になりましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。明日からも生き延びていきましょう。

*1:もし話を聞きたい方がいらっしゃれば、ご連絡くだされば話します

*2:ダイレクトメッセージの略。Twitter上において、個人間でメッセージをやり取りできる機能

*3:京大の学祭「11月祭」のこと。November Festivalの略

*4:発達障害とかコミュニケーションとか恋愛とかのしんどさが混じり合っていて、訳のわからないことになっていました

*5:もちろん、例会もとても楽しかったです。確かインプロをしたはず

*6:それまでサークラ同好会が存続しているといいなあ

ふくわらいの管理人をやめます

Twitterでも発表した通り、6月末をもってふくわらいの管理人をやめることにしました。

 

一番大きな理由は、僕の経済状態・精神状態を考えると、このまま維持するのは困難だろうと判断したからです。また、シェアハウスを運営した1年間で僕の生きづらさがとても軽くなり、シェアハウスにこだわる必要がなくなったというのもあります。

 

思い返せば、僕がシェアハウスを始めたきっかけは、「一人暮らし寂しい、孤独だ、このままだと一人で死ぬことになりそうで怖い、誰かと一緒に暮らしたい」という思いからでした。

1年間シェアハウスを運営して、上手くいかなかったことも多々あったものの、僕は誰かと一緒に暮らすことの良さを十分すぎるくらいに味わいました。組織のリーダーをするという、社会的な経験もできました。「ただ居ることのできる」空間を作りたいという願いを叶えることもできました。そして何より、人と共に生きるとはどういうことなのかを、骨の髄まで感じ取ることができました。

そしてできることなら、「誰かと一緒に暮らす」ことを一人でも多くの人に経験してほしい、次世代の人たちにバトンを受け継いでいきたいと思います。そこで、ふくわらいの管理人を引き継いでくださる方を募集します。

 

 

シェアハウスの管理人をするメリット

 

・一軒家を使っていろいろなことができる

・人と暮らすことによって、孤独にならなくなる

・責任感が芽生え、社会性がつく

・話のネタが増える

・以上のことから、社会の中で生きていくための自信がつく

・(もし収益化するのなら) 不労所得が手に入る etc.

 

 

ふくわらいのスペックについて

 

・家賃は月75,000円

・間取りは4DK。一階にキッチン・ダイニング・和室、二階に3部屋あり

・築40年ほどだが、リフォーム済のため綺麗

・アクセスは阪神なんば線出来島駅より徒歩13分、大阪シティバス中島一丁目より徒歩1分。中心部からは多少離れますが、梅田・なんば・神戸に適度に行きやすいです

・冷暖房完備しています

 

 

管理人としてやってきたこと、これからどうするか

 

・ 家賃の集金、家賃と光熱費の支払い等の金銭管理、活動団体や宿泊希望者など外部の人とのやり取り

新管理人に責任をもって引き継ぎます。

 

・集まり・イベントの企画運営、情報宣伝、家事

これまで管理人が主にやっていましたが、できる限り住人同士で分担できるようにしたいですね。イベントは無理に開催する必要はないかも。

 

・住人間の話し合いによる住みやすい場作り

みんなで協力してやりましょう。

 

 

 

だいたい4月末まで募集します。興味のある方は、ぜひ僕のTwitterアカウントまでご連絡ください。お待ちしております。